インタビューシリーズ第15回 谷岡理香さん

インタビューシリーズ第15回 JWLI2012年フェロー 
谷岡理香さん
一般社団法人青空朗読 代表理事、東海大学文化社会学部広報メディア学科教授)

1. JWLIとのかかわり

第1期生の平松昌子さんが日本女性放送者懇談会の先輩で、数年前からお誘いは受けていました。具体的なきっかけとしては2011年の東日本大震災です。あれほどの地震と津波の被害に対して何もできない無力感。それと元々アナウンサーで放送出身ですから、原発事故に関して報道が何か本当のことを言っていないのではという疑心暗鬼というかショックも受けました。(後から冷静に考えれば、当時分かっていないことも多かったでしょうし、実際には現地で取材を続けているジャーナリストたちがいたことも知ります。)当時は自分が立っていた足場が崩れた感じがありました。私と同じ思いを持った人は少なからずいたと思います。自分に何が出来るのか右往左往していました。その時にJWLIのことを思い出しボストンで非営利で社会に貢献している組織の活動を見てみたいと思ったのです。

主に暴力を受けた女性たちや貧困層の女性たちの支援を行なうNPO組織に行って、活動内容について説明を受けました。団体の活動を支える助成金の申請については本当に具体的に説明をしてもらい、更に貴重なデータの入ったUSBも持たせてもらうなど、現地のスタッフの誠実さに感動したことを覚えています。ですが、一方できわめて優秀な若い女性たちが、貧困層の女性たちをサポートする様子には自己犠牲的な要素を感じることもあり、志だけで行なうには厳しい側面を感じたことも事実です。

「活動を見たい」というのが目的だったこともあって、見て帰ってきてしまうという自分の甘さに気づきました。日本で見つけられないものをアメリカで見つけようと考えた自分の甘さです。 自分の足元のことは自分の足元でやらないと、どこか別の場所に探しに行っても得られないと気付きました。

関りとしては卒業生のみなさんと緩やかに繋がっていることも嬉しいことです。フェローの石本めぐみさん(特定非営利活動法人ウィメンズアイ)や吉留桂さん(公益財団法人 ジョイセフ)などの女性リーダーたちの活動を知ることで力をもらうことも度々あります。石本さんたちが主催したワークショップで、福島の若い農業の女性リーダーと知り合い、その後数回、彼女が営む農家民宿でゼミの合宿を行なっています。

 

2. これまでの活動、これまでに乗り越えた危機・失敗(活動の中での具体的なエピソード)

青空朗読を一般社団にしたのは2016年。年間50万円の企業スポンサーが現れたことで、法人化の必要が出てきたからです。医療関係のイベントを行なう会社です。青空朗読は小さな団体ですので、そのような支援をしていただくことに申し訳ない思いがあったのですが、「青空朗読」をサポートしていることが、自社のブランディングに繋がると言ってくださったことで自信を得たようにも思いました。

青空朗読はプロのアナウンサーらが朗読した作品(音声データ)を、インターネット上の「青空朗読」のサイトに掲載しています。インターネットにつなぐ環境さえあれば、誰でもいつでも朗読の世界にアクセスすることができます。その中で名著や童話に触れてもらっています。基本的には、個人個人に静かで豊かな時間を楽しんでいただくことが目的ですが、目の不自由な方や外国から日本に来ている方のための日本語教材としても活用されています。また、釧路市の学校で子どもの補助教材として使われていたり、高齢者施設で、リハビリや声を出す訓練教材として使われたりもしています。

豊富な音声があるサイトですので、企業から音声データとして売ってほしいという問い合わせをいただいたことも何度もあります。活動資金になると心が動いたこともありますが、思いを込めて朗読してくださる方々の声をデータとして売るのは私どもの活動の理念とは異なるので、断ってきました。

コロナ禍で出かけられなくなり、お問い合わせが増えました。その多くは地域の図書館ですが、香港の日本領事館からもサイトをリンクして良いですかとの連絡がありました。現在は毎日2000人ほどの方が青空朗読のホームページを訪れています。中にはイギリスやロシアなど、海外でこのサイトを訪れて朗読を楽しんでくださる方がいます。お金を出さなくても、自ら移動しなくても、つまり体が不自由な方や高齢で移動が難しい方も、名著や童話の世界に触れることができる。そういった公共のインフラになるといいなと思っています。

もう一つ、私の活動の柱はなんといっても大学の教員であることです。このコロナ禍で学生のケアは課題でした。残念ながら親御さんの経済事情で大学を辞めざるを得なかった学生や、オンラインに馴染めずに全く単位を取ることができなかった学生もいます。

振り返ると、教員の多くは同じ経験をしたと思いますが、春休みにいきなりオンラインの世界に放り込まれ、ひたすらパソコンに向かって慣れない授業の準備に追われていました。ZOOMって何?って感じでしたから(笑)。大学からは、当時は「ライブ授業は行わず、オンデマンドで授業準備をするよう」指示を受けていました。サーバーやセキュリティに対する懸念があったからでしょうし、とにかく何もわからない中にいたように思い出します。

ところが、4月に入り授業の初日に大学のサーバーそのものがダウンしてしまい、その日のNHKの夜7時のニュースにもなったんです。大学のオンライン授業がどのように始まるのかは社会的な関心事なのだと実感しました。でも私はこのサーバーダウンという、大きなトラブルを経験したことで、どのように準備しても、皆が初めて経験することなので、トラブルは付き物だと開き直りました(笑)。

大学生たちは大学への入構を禁止されていて友達にも会えていません。私は担当授業すべてをオンデマンドでなく、ライブのZOOMで行うことにしました。同僚からは「勇気あるなあ」と言われました(笑)。当時zoom bomber という名前のライブを荒らすトラブルがあるという話も出ていました。学生には何かトラブルが起こったらすぐに授業をいったん閉じる。と説明し、今年はそういう年なのでそれなりに対応していこうと授業の初めに話をしました。

技術的に不慣れなこともありましたが、学生に助けてもらいました。学生たちが画面越しながら、久しぶりに友達と会えて手を振りあう様子を見ると、ライブ授業に切り替えて良かったと思いました。大学は友人とコミュニケーションを取り合う大切な場所でもあります。チャットも個人同士の雑談もOKにして、学生同士がコミュニケーションを取りやすいように工夫しました。

何より大きな発見は対面での授業より、学生たちと密な対話が出来たことです。対面で100人を超える授業ですと後ろの席に座る学生は教員からは遠く、寝る気満々(笑)ですが、zoomだと教員と学生の距離は約30cmです。ジェンダーの授業の時に、この方法がうまくいったことを驚きと共に実感しました。大教室で学生は自分から手を上げることはほとんどありませんが、チャットなら喋ります。そのチャットも全員に届くのではなく私だけに送ってきます。つまり匿名性があります。最初の一人が意見を出すまでには時間がかかることもありますが、待ちます。私がそれを読み上げます。すると次々と学生たちから異なる自分の考えや反論、共感などがチャットで出てきたのです。経験したことのない教員としての喜びを実感した時間でした。バーチャルの空間ながら教室の体温が高くなった感じがしました。学生からも大学生になって一番いい授業だったと感想をもらいました。特にジェンダーについては、間違いか正しいかじゃなくて、自分の意見や思いを語ることが大切です。コロナ禍の緊急事態下の右往左往と模索の上のライブ授業でしたが、きっかけさえ提供すればこれだけ密な対話が出来るのだとわかったことは、困難の後に待っていた大きなご褒美でした。

 

3. これからやりたいと思っていること

ジャーナリズムに女性が少ないというのはずっと課題に思っていることです。

今年3月日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)と私が運営委員を務めるメディア総合研究所で、『もう、変えよう 「オトコ」目線のメディア』というシンポジウムをオンラインで開きました。中から変えるのは難しいので公開して、外からの風を入れようとしました。キックオフイベントです。約200人の参加者がありました。かつてメディアは内部のことを外には話さなかったし、労働組合がジェンダーのことを課題として掲げるのは初めての画期的なことです。複雑化している社会の中で男性主流のエリートの価値観によるニュースをニュースだと思っている現状を変えたいと思います。メディアが変われば与える影響は変わる。メディアを使って女性がどう発信できるか、今後も継続して考え、発信し、行動していきたいと思っています。

 

4. 座右の銘/大切にしている信条

学生にいつも伝えているのは、「ドアが閉まっていたらノックしてみて」ということ。ガラスの天井もあるし、行く先々でドアが閉まっていることもある。でもノックしてみたら外に人がいることに気づいて内側から返事をしてくれる人がいるかもしれない。簡単にあきらめないでほしいと伝えています。この考え方で、キー局のアナウンサーになった教え子がいます。彼女はすでに選考が終わってしまってから新たに就職活動をしなければいけない状況でした。でも、私のアドバイスを聞いて、全国の放送局に連絡をし続けていたら、在京のテレビ局から声がかかり、一年遅れで3年生と一緒に試験を受けて合格したのです。今、学生たちが、「メールして質問しても返事が無いんです」とか言うんですけれど、返事がないなら電話してみればいい。自分で動こうと言っています。

私自身も、これまで感動した映画には監督に手紙を書いて、やり取りを続けることもあります。また尊敬するジャーナリストに長い手紙を書いて一緒に仕事をさせていただいたこともあり、学生には直筆の手紙を書くことを勧めています。SNSの時代だからこそ直筆の手紙の価値があるようにも思います。

 

  • 5. 楽しい質問
    • ゲラゲラいうのが好き。生産性のないことを言って人を笑わせるのが好きです。くだらないことを言って涙を流すほど笑い転げる時間が一番楽しいですね。何で笑ったか後で全然覚えてないけど(笑)
    • 小さい時から家が嫌いで外が好きだったのですが、コロナで出られなくなってしまって。最近は家という空間と仲良くすることが出来るようになりました。ベランダの花やカーテンに話しかけたりしてます(笑)。
    • 50歳でクラシックバレエを始めました。白鳥の湖に出たときに、友達には「チャイコフスキーが気の毒」と言われました。その通り(笑)。できなかったことができるようになるのは嬉しいし、楽しい時間です。

 

6、インタビュワーYuki’s Comment

インタビュー時には、来週はJWLI第1期生の平松昌子さんとテニスに行くとおっしゃっていました。「私一人が素人なのよ」と笑っておっしゃっていましたが、理香さんの思い切りのよい性格がよくわかるスケジュールだなぁと思いました。危機的状況や失敗談について伺っても、そんなに大変なことはないとおっしゃっていましたが、これは逆境をチャンスにしてしまう理香さんならではの解釈かも?オンライン授業で出鼻をくじかれても逆に全部オンラインにし、生徒さんにも「途中で切れちゃうかもしれないけれど、それはそれだからね」と難しい状況もさらけ出して味方に付けちゃう様子も、理香さんならではの強みですね!ジェンダー不平等による生きづらさに関してはインタビュー後に世代を超えて意気投合してしまいましたが、現状をめげずに変えていきまし

インタビューシリーズ第14回 崎村奏子さん

インタビューシリーズ第14回 JWLI2019年フェロー

 

崎村奏子さん

(楽天グループ株式会社 サステナビリティ部 ソーシャルイノベーショングループ マネージャー)

 

1、JWLIとのかかわりと学び

同じくJWLIフェローの丸野遥香さんや幸あかりさんとは企業の社会貢献担当というつながりがあって、JWLIのプログラムが素晴らしいと聞いていました。自分もチャンスがあれば行きたいと思い、2019年のフェローに応募しました。ボストンのプログラム中は毎日課題があって寝れないくらいでしたが(笑)、本当に多くの学びがありました。現地の団体訪問や毎週のレビュー、バブソン大学のプログラムなど…。特に、自分と同世代でがんばっている現地の団体と直接お話できて、それぞれの試行錯誤のストーリーを共有してもらえたことは、個人的にも学びが多かったです。

 

2、活動の内容とこれまでに乗り越えた危機・失敗

元々社会課題には関心があり、以前は新聞社で働いていました。東日本大震災の当時は九州の支社にいて、何もできない歯がゆさを感じました。新聞社自体がソーシャルセクターに近い立場にあると思うのですが、活動のお話を聞かせていただくことがあっても自分自身が具体的な活動をするということがあまりなかったんです。自分が活動する側に回りたいと思ったのと、企業がそれをやるということにインパクトがあると思って、現職に応募しました。日本企業のCSRは震災を機に大きく広がりました。最近はSDGsの影響もあり、それぞれの企業が本業の強みを活かして社会課題解決に取り組んでいます。私自身も様々な地域のNPOや自治体の方と一緒に活動することが増えてきて、これからは企業と非営利セクターの垣根がなくなっていくと感じています。

現職に就いてからの6年間、上手くいかなかったこともたくさんあります。でも、「あきらめるまでは失敗にならない」と自分に言い聞かせています(笑)。直近で大きな出来事はやはり新型コロナウイルスの流行です。オンラインでの募金活動など会社としてできることに取り組んだ一方、対面の活動が難しくなったことから社員のボランティア活動は大幅な方向転換を余儀なくされました。楽天には創業時から続く「エンパワーメント」という価値観があり、インターネットショッピングモールの「楽天市場」も「どんな地域からでも日本や世界を相手にビジネスができるようにする」というコンセプトで始まっています。社員のボランティア活動も、様々な地域に実際に足を運び、そこで出会う人との交流や対話を大切にしてきました。社員にとっても、自分たちの日々の仕事が社会とつながっている、という実感を得ることができる貴重な機会でしたが、それを対面の活動が困難な中でどう実現するのか、という点には悩みました。

結果として2020年は、試行錯誤しながらも、オンラインでいろんな地域の方とつながって協働することに挑戦しました。例えば岐阜県飛騨市の伝統工芸品「和ろうそく」を広めるオンラインイベントの企画を一緒にやったり。それから、国際協力NPOの未使用切手を仕分けするボランティアには、社員それぞれが自宅から参加しました。Zoomのビデオ通話を使って、作業しながらNPOの方からお話を聞く機会も設けました。そういった活動を通じて、一度も会ったことがなくてもオンラインで対話を重ねることで応援したい気持ちは強くなるし、オンラインでもできることがたくさんある、と気付くことができました。逆にボランティアのすそ野を広げるという意味では良かったと思います。今まで時間に制約がある人は現地に出向いての活動は難しかったですが、オンラインにすることで参加のハードルは下がりましたし、逆に実際に行くことの価値は上がると思います。これからはオンラインとオフライン、ハイブリッドの活動をしていきたいです。

 

3、これからやりたいと思っていること

私自身は、中間支援的なことや、社会的インパクト評価について、もっと経験を積みたいと思っています。私は企業の側にいて、いわばビジネスパーソンと社会をつなぐ役割を担っていますが、この「つなぐ」役割がこれからもっと大事になっていくと感じています。コーディネート力や活動のインパクトを可視化していく力を上げて、少しでも「つなぐ」ことに貢献できればと思います。

個人的な活動としても、ボランティアやプロボノに興味がある社会人とNPOをつなぐプラットフォームのようなものを実現したいと思っています。意識の高い人だけが集まるのではなくて、時間や場所の制約が外れるオンラインならではの関わり方を提案していきたいですね。コロナの影響もあり、オンラインやリモートでボランティアしたいという人も増えています。こんな時だからこそ社会人と非営利組織をマッチングできる仕組みを作りたいです。関わる人を増やしたいし、もっと多様な関わり方ができるようにしたいと思っています。例えばウェブでの情報発信など、広報を課題としている団体の方は多いのではないかと思うので、こうしたところからもビジネスパーソンとのマッチングが出来るのではないかと思っています。

 

4、座右の銘/大切にしている信条

今はコロナで難しいですが、直接その場に行ったり人の話を聞いたりして、自分なりに直接触れて感じるということは可能な限り大事にしたいです。新聞社で働いていた経験も影響しているのですが、本当に重要な情報はネットでは見つけられないことも多く、やっぱり直接見たり話を聞くのはそれだけの価値があると思っています。

ボストンでの学びで大きかったのは、特別な人だけではなくて誰でも自分で課題解決ができるということです。働きながら社会に貢献するとか、学生でも、それぞれの立場で貢献することができます。私自身、以前は会社の活動で、様々な地域の高校に行き、高校生と一緒に地域の課題解決に取り組むワークショップをやっていました。ほとんどの高校が東京から遠く離れた場所だったのですが、都会でビジネスコンペに出たりしなくても、どんな場所からでも、高校生でも社会を変えられるんだという空気を作りたいと思ってやっていました。これからも、誰もが課題解決の当事者になれるということを証明できるような活動をしていきたいです。

 

5、楽しい質問(好きなもの、こと等)

ビールが好き:クラフトビールは、海外・日本ともに大好きです。プログラム参加中はあまり飲めなかったのですが、ボストンは個性的なクラフトビールがいっぱいありました。また行きたいです!

 

6、インタビュワーYuki’s Comment

現地に赴くこと、直接お話を聞くことに重きを置きながら社員のプロボノ・ボランティア活動を支えてきた奏子さん。新型コロナウイルスによって相当に大変な思いをされたのではないかと伺うと、ケロリと「あきらめるまでは失敗にならないんで!」と笑顔でおっしゃっていました。非営利組織とボランティアを希望する社会人とのマッチングプラットフォームの構想については、今年中に具体化したいとのことで本当に心強く思いました。奏子さんの構想についての続報があれば、JWLIのフェイスブックなどでもぜひまたご紹介したいです。

Atsuko Fish Statement Against Anti-Asian Racism

Recently, out for a walk along a narrow road on Cape Cod, I passed a family wearing no masks. I asked them, “Where are your masks?”  The father turned to me and said harshly, “Go home.” On another occasion I was out walking, followed by young girl on her bike. She asked where I lived, so I pointed out my house. As she stopped and watched me go towards my front door she said “No. You don’t belong here.”

 

My name is Atsuko Toko Fish. I am originally from Japan. I came to Boston in 1983 when I was 40 years old and 7 months pregnant, with my husband and 3-year-old daughter. I have been fortunate and am proud of the life I have created in the U.S. I am also proud of my legacy as an Asian woman and a descendent of a Samurai family. I strongly condemn anti-Asian attacks targeting our community, especially women, youth, and the elderly. I am writing this letter to urge you to use your voice and stand with me in collective action.

 

My husband Larry and I created a family foundation in 1999. The Foundation serves immigrants in Massachusetts, an area I care deeply about as an immigrant myself; high and proven-risk youth; and leadership development for women in Japan. In Japan we have over 100 alumnae. They are women non-profit leaders making major strides towards social change. In my 10-year role as chair of the board of the Asian Task Force Against Domestic Violence (ATASK), I have served Asian women and children who were survivors of domestic violence and other forms of violence. I treasure my work with ATASK’s staff and clients, but it is a reminder of this country’s long history of systemic racism and gender-based violence.

 

As an Asian woman, I too have been a target of discrimination and racism. On the street and in the workplace. These experiences are deeply rooted in misogyny and hypersexualization. My fellow Asian women, this is our chance to break our silence. We must use this moment for good, as an opportunity to raise awareness of this issue. We now have the power to change the course of our future and respond. Let us speak up and show our strength. As role models to girls and young women, we must teach by example and show how proud we are of our heritage and rich cultures. America is the land of opportunity, a place where we are welcomed and have a chance to thrive.

 

I urge you to join me in collective action. We can make a difference in our future together.

 

Atsuko Toko Fish

Co-Founder, The Fish Family Foundation
Founder, Japanese Women’s Leadership Initiative Ecosystem

 

【以下日本語訳】

先日、道ばたでマスクをしていない家族とすれ違ました。私が「マスクはどうしたんですか?」と尋ねると、父親が厳しい口調で「国に帰れ!」と私に向かって言いました。また、別の日には自転車に乗った女の子に後をつけられ、どこに住んでいるのかと尋ねられました。私が自分の家を指さして玄関に向かっていくと、「あんたはこの国に住むべき人でないでしょ!」と言われました。

私は日本出身で妊娠7か月で40歳だった1983年に、夫と3歳の娘と一緒にボストンに移り住みました。私はアメリカで築いてきた生活に誇りを持っています。そして、私はアジア人女性として、そしてまた日本の武家の子孫として、自分が受け継いできた文化と歴史に誇りを持っています。私たちアジア人に向けられた暴力―特に女性や若者、そして高齢者に対する暴力―に強く抗議します。共に声を上げ行動を起こしましょう。そのために、このメッセージを書く決断をしました。

夫のラリーと共に、フィッシュ・ファミリー財団を米国ボストンで1999年に立ち上げました。財団では、マサチューセッツ州に住む移民の支援、社会的困難な状況に置かれているハイリスクな若者支援、そして日本の女性リーダー育成事業をしています。特に移民支援は、私自身が移民であることから、非常に重要な支援です。日本の女性リーダー育成事業では、100名以上の卒業生を輩出しました。彼女たちは、社会変革に向けて大きな成果を上げている非営利活動に従事する女性リーダーたちです。また、Asian Task Force Against Domestic Violence (ATASK)で理事長を10年間務め、ドメスティック・バイオレンスなどの暴力被害を受けたサバイバーのアジア人女性や子どもの支援をしてきました。ATASKの職員やクライアントとの活動経験は私にとっての貴重な経験となっていますが、それは同時にこの国に刻まれた構造的人種差別とジェンダーに基づく暴力の歴史を思い起こさせるものでもあります。

アジア人女性として、私自身も路上やその他の場所で人種差別の対象になったことがあります。こうした経験の根底にあるのは、女性蔑視と、アジア人女性を過剰に性的対象とみる差別的意識です。同じアジア人の女性として、私はみなさんに呼びかけます。今がまさにこの沈黙を破る時です。現状を打開し、この問題について広く世界に知らしめる機会なのです。私たちは今、未来を変える力を持っています。その力を発揮し声を上げましょう。若い女性や女の子のロールモデルとして、私たちのルーツと豊かな文化を誇りに思っていることを身をもって示すのです。アメリカは、誰もが歓迎され、成功する機会が与えられる国なのだから。

共に行動を起こしましょう。私たちは今、歴史を作り、未来を変えようとしています。私たちは変化をもたらすことが出来るのです。We can make a difference!

フィッシュ・ファミリー財団共同創設者
JWLIエコシステム創設者
厚子・東光・フィッシュ